ある年の5月③

 ねぐらの中にばかりいるから、さすがにつまらなくなってきた。ギャーギャー騒いで吾輩は外に出ることができたが、久しぶりの外の空気は良かったかというとそうでもなかった。

 なつかしさはあったが、これまで過ごした場所にも愛着は無くなっていた。若いころは必死で守ってきた縄張りだった。今では、どこかの若い奴が居座っているのだろう。

 

 

 つまらなくなって、ねぐらに戻ってしまった。このねぐらに特別な何かがあるわけでは無い。ただ、食うにも寝るにも困らない。ここにいて損はない。

 

 この前、「ごぉるでんういいく」に来ていた「ニンゲン」どもを思い出した。あのとき、何をばたばた過ごしておるのかとあきれておったが、吾輩も同じかもしれん。外に出るのが目的なのか?何のために外に出る?

 

 ねぐらにおれば良いのだ。「ニンゲン」どもには「ころな」とかいう厄介なものがあるらしい。外に出ると「ころな」になりやすいのだという。

 

 「いんすた」なんぞのために、自己顕示欲のためになのか解らんが、寝て過ごすことがどれだけありがたいことか。吾輩はこれまで、いつ寝首をかかれるか解らない生活を送っていたのだ。安心して寝ることのできる生活こそ無上のことだ。

「てれび」の「うくらいな」や「ヒロシマナガサキノゲンバク」を見てみろ。眠れる生活をありがたく思うんだな。