ある年の6月④

 奴が立ち去ってから我が輩は考えた。

 我が輩と同じような形をしたものがいくつか死んだ。あの「フユ」の厳しさで。

 

 

 我が輩はこれで良かったのだろうか。

 

 

 若いころから吾輩は「ニンゲン」どもと暮らす奴らを心の底から軽蔑していた。それが今ではどうだ。我が輩が「ニンゲン」どもと暮らしている。いや、正しくは暮らしてやっているのだが。

 

 あの厳しい環境の中で過ごすことで生き様を見せてきたつもりだ。だが、我が輩はあの「フユ」に負けた。そして「ニンゲン」どものねぐらでぬくぬくと暮らしていた。どう言い訳しようがその事実は変わらない。

 

 生きるとはなんだろうか。死ぬとはなんだろうか。

 


奴の後ろ姿を見ていると、何が正しいか解らない。かつての我が輩や奴のように厳しい環境で命を削るのも、今の我が輩のようにぬくぬく暮らすのも。いや、どちらも間違ってはいない。生き方の違いこそあれど、生きるという点においては変わりはない。

 

 「違い」があるだけなのだ。「間違い」ではない。どちらが正しいも無い。白黒つけようということ自体が間違いなのだ。

 

 

 色々考えると疲れてくる。

 

 眠るとするか。