ある年の9月③

 「ニンゲン」どもには解らないだろうが、吾輩たちは誰が死んだのかがすぐに解る。動物的勘というものだ。

 

 奴が昨日の夜に死んだ。大往生とまでいかないが、苦しむことなく逝ったようだ。

 

 思い出す。奴とは戦ってばかりであった。いや、戦いたくなるような何かが奴にはあった。憎いというわけでは無い。だが、目が合えばすぐに戦う。お互いに年老いてもそうであった。

 

 その戦いの後に何があったのだろうか。何もない。なのになぜ戦ったのだろうか。吾輩は考えた。だが何も解らなかった。

 

 吾輩も老いぼれた。そう長くはないだろう。奴と同じようにいずれ死ぬ。あの小さいの(子猫)より先にな。

 

 

 

 生きているものは必ず死ぬ。それは誰もが解っていることだ。だが、なぜ必死に生きるのだろうか。特に「ニンゲン」どもは。

 

 それなりに食えてそれなりに眠れることができれば、毎日などそれで良い。「ニンゲン」どもは「いんすた」がどうだとか、「べんつ」やら「イエタテタ」など嬉々として話す。だが、死んだ先に持っていけるものなのか。

 

 

 色々考えておると疲れる。少し眠るとするか。

 

 

 だが、奴とは違う。吾輩は必ず目覚めるのだ。そしてまた眠り、目覚める。奴が見ることのできなかった物を見続けてやるか。